Ag_texts 後期第2回 写真集団「PROVOKE」の価値  200010.14.



'68  同人誌「プロヴォーク」誌創刊 
     参加:中平卓馬・高梨豊・多木浩二・岡田隆彦(テキスト参加)
二号より森山大道参加

    〜三号を発刊して後、「来るべき言葉のために」中平卓馬写真集を出した時点で解散〜




○プロヴォークの特徴
 ・あれ・ブレ・ボケ・ハイコントラストなどの綺麗とは言い難い表現手法。
 ・なぜ「写真を撮るのか」という、姿勢の追求。
 ・コンセプト「思想のための挑発的資料」




○当時の背景
 戦後写真界は土門拳のリアリズム(個人から見る社会への問題定義)、後の写真集団VIVOの造形や記録など、一種盲目的とも言える写真の世界への没入する事を半ば強いる作品が溢れていた。そんな60年代後半、VIVOの一人で写真家東松照明の弟子・森山大道は東松の紹介で写真史の編集をしていた中平卓馬と知り合い。中平はまた東松の紹介で写真展の委員会の仕事をする際知り合った建築系評論家・多木浩二と同人誌発行の企画を持ち上げる。
 
 時に世界中で同時多発的に「コンテンポラリー(同時代)写真」という分野が成立した時期でもある。日本では「コンポラ写真」と呼ばれ、日常の風景を撮影した意味性が薄い写真をいう。しかし実体は感覚的という意味の、当時賛否両論の写真ジャンルの通称であり、プロヴォークはその筆頭とされるに至った。




○中平卓馬の存在
 プロヴォークの5人の中で核と言っても良い中平卓馬は、プロヴォーク当時より写真撮影というよりは写真で思想を実践するというスタイルを取っていた。寺山修司と親交のあった中平は「詩人になろうか写真家になろうか迷った」といったあたりに当初の写真への姿勢が読みとれる。結局中平は森山大道に写真を教わり写真家への道を選んだ。また他の4人と違い中平は常に自分の姿勢を思考し決定していた。プロヴォーク当時の自己の姿勢を
「僕の考える記録は第一に僕が生きていくその都度の生の記録である。それはその限りにおいて自閉的であり、僕自身にこだわり切ることから出発する。しかしかくいう僕自身、歴史から自由ではありえないし、言葉の正しい意味で<状況下>されているのである。自閉的な記録は必然的に社会化され、その照り返しは歴史をも政治をも照射してゆくはずである。いやむしろ状況を顕在化させるものとしてまず記録はあらねばならないだろう」
〜と説明している。




◎プロヴォークの意義
 写真集団プロヴォークはたった3冊の同人誌の出版に活動はすぎないが、当時またその後の写真に与えた影響は大きかったと言わざるを得ない。なぜなら当時アレやブレなどの表現等意図的に選ばれた手法や、意味や記号を内包しない写真の提示は写真その物の存在を提示することになった。それにより写真が表現というよりは認識の作用を含んでいることを顕在化させるに至ったのだ。




○表面的な理解
 PROVOKE誌はしかし作品集とは趣が違う。それはあくまで「挑発的資料」出会ったはずである。荒れブレがわかりやすい要素として目立ってしまっただけにそれだけで作品になるといった誤解が生じた。それによりPROVOKE自体の意味すら変えていったのである。
「今、少し冷静に振り返ってみると<PROVOKE>のめざしたものは、写真家の肉声の獲得ということであった。それは既存の美学や価値観による制度的に整序された視覚に対する肉声による切り込みであったはずだ。〜中略〜例えば我々が不遜にもそう信じ込んでいた世界と私との直接的な出会い、生の生体験から結果した技術的なアレ・ブレなどは瞬く間に一つの意匠にまで変形され、当時おそらくは持っていたであろう我々の反抗的な姿勢とその映像は、反抗的な情緒、反抗的な気分として寛容にも受け入れられ、そのことによって逆にわれわれの反抗をを骨抜きにする結果を生んだにすぎない」
「なぜ植物図鑑か」中平卓馬映像論集 1973 より




○森山と中平のその後
 プロヴォークで著名となった森山大道はいっそうブレボケ写真に固執するあまり、「写真よさようなら」で、フィルムの傷と現像むらの局地へと足を踏み入れるに至った。それにより森山は睡眠薬漬けの日々を70年代に送ることになる。80年代に入り森山は再び自分のペースを取り戻し同じスタイルで活動を続けているカリスマ的存在となった。

 そして中平は誰の意図も介さない写真を求め、自分のイメージをも否定する。「なぜ植物図鑑か」では人間でもなく、動物でもない、しかし無機物でないものへの記録を追い求めている。
 中平は73年自分を追いつめるためにそれまでの写真・ネガを海辺で焼き払う。後数年間篠山紀信との交流を持ち、再び写真家として出発しようとしたときの77年急性アルコール中毒で逆行性記憶喪失となり自意識と言葉の自由を失うこととなる。以後撮影活動は進んでいるがその写真集はまさに無我の境地とも言えるモノである。 

 


参考資料: 「眼の狩人」 大竹昭子 新潮社
      「なぜ未だプロヴォークか」西井一夫 青弓社
      「私写真論」飯沢耕太郎 筑摩書房

中野幸英


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送